2018/05/23

ハバナ (85)


もうすぐわたしの旅は終わろうとしている。
このブログを書きながら、メキシコシティからハバナへもう一度旅に出ている気持ちだった。

曖昧な時間をブログ上で泳ぎ、たくさんの思考やことばを編むことができたと思う。
そしてそれは—わたしの精神と記憶が複雑に絡み合い
呼応し、生み出されてきたものである。

この旅は展示という形で終結を迎える。
 
これまで読んでくださった方に感謝とお礼を申しあげます。





2018/05/22

ハバナ (84)


社会の仕組みによって人の在り方、見え方がこうも違うのだという事を
わたしはキューバで体験したはずだったのだ。
変わらないことと、大きく違うことがある。

それを比較して考えるのは、いつも日本や東京のことだった。



2018/05/19

ハバナ (83)


ハバナのひとびとを見つめた日々。
この都市が地球上のどの都市であってもおかしくないような感覚をわたしは最近持ちはじめている。
それは何なのだろうか・・・・・?

都市というものが無限の広がりと普遍性をもち
地球上の都市を包括していくようなイメージなのだ。

それは決して都市が均一化してきたというグローバリズムを意味するものではなく
写真活動を通して、きわめて個人的な感覚から立ち上がってきたものである。



2018/05/18

ハバナ (82)


ここでは本質しか残らない。
嘘や飾りや表面的なことがらはすべて一掃されてしまう。

それを受け入れる余裕が街にも人にもないから・・・・・。

そして都市生活とは何か?ということを
ハバナにいて毎日突き付けられるような気がしていた。



2018/05/16

ハバナ (81)


不思議なことなのだが
自分の撮った写真を選び見ていると、昔見た映画の一場面を思い出す。
20代前半の頃、古いヨーロッパの映画をよく観た。
それらは特に何か事件が起きるわけではないのだが
会話と日々の何気ない情景を描いたものが多く、わたしはそんなものが好きだった。

ハバナはそんなことを思い起こさせてくれる。


2018/05/15

ハバナ (80)



ひとが生きて行く平らでない道のりと、時の流れによる街の歪みとがあからさまに露出し、それらが交錯し合う瞬間を見ると、わたしはそれにこたえなければ、と強く思うのだ。


2018/05/14

ハバナ (79)


出来てきた写真を見ると、人々の〝手″に目がいくような撮り方をしている、という話を聞いて
わたしの視線は足に行っているのかな?と暗室で気づく。

足からは-移動する、逃げる、追う、機動力
そんなことばを連想する。
手より、より原始的な働きをする〝足″に
わたしは親しみを覚え、共感しているのかもしれない。


2018/05/13

ハバナ (78)


ハバナの街の特殊性ではなく
都市の普遍性を見出すことができたのは
ハバナが突出した個性を持っていたからに他ならない。


 

2018/05/12

ハバナ (77)


ハバナの街から、人から、絶えずこちらに向けて何かが発せられている。
それらは時に激しく強烈なこともあるのだが
全体を取りかこむ膜は、総じて温かい。



2018/05/11

ハバナ (76)

どうしてもシャッターを押さずにはいられない。
そんな感覚をもつことは、わたしは滅多にない。

どれほどわたしはこの都市にどっぷりと浸かっていたのだろう。

 

2018/04/22

春の展示とトークセッションのお知らせ

川島紀良さんが写真展「ZEPHYROS」(ゼピュロス)を開催します。OGUMAG(5/1-5/6 /2018)

展示中3回のトークセッション(5/1・5/3・5/5)もおこなわれます。











◆トークセッション 5/3(木・祝)18:30-19:30(入場無料:予約不要)

 川島紀良×由良環  「漂う」


川島紀良さんの捉えるひと、町、空間、そこには何があるのか。

川島さんは東京の下町に生まれ育ち、現在もそこに暮らす写真家です。
「ZEPHYROS」は2010年、2016年に続く3度目の写真展で
6×6のカラ—ネガフィルムによって撮影された手焼きのプリントが展示されます。
また川島さんは自身のことばの世界を持った人でもあります。そこから紡ぎだされる写真のためのことばを聴き、写真を感じるようにみて頂けたらと思います。

わたしも現在「都市の中のひと」というような写真を撮っていますが、川島さんと由良のその目の違い、込めたものの違いがとても面白いなぁと、わたしは感じています。
そのあたりを5/3にお話しできたら、と願っています。


詳細は下記(OGUMAGホームページ)をごらんください。

http://ogumag.wixsite.com/schedule/single-post/2018/03/17/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E7%B4%80%E8%89%AF-%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%B1%95%E3%80%8CZephyros%E3%80%8D51%E7%81%AB-6%E6%97%A5









ハバナ (75)


ひとりの人間が分厚い存在感を放ち、
人ごみの中でも淘汰されることがない。
人の層が感じられる街—ハバナ



2018/04/21

ハバナ (74)


有機的でごちゃまぜで人間味ある都市ハバナ。
さまざまな文化人が書いているイタリア、ナポリの破天荒さの魅力とはまた全然違ったものなのだろう。




2018/04/20

ハバナ (73)


ぎゅっと詰まった密度の濃い下町は
どこかほかの都市のそれとは異なっている。

それは何なのか・・・。



2018/04/19

ハバナ (72)


できあがってきた写真をみると・・・
わたしの目には、この白い街と人びとが、ひどく美しく豊かなものに映っているようだ。











2018/04/18

ハバナ (71)


遥かむこうにすっと抜けていくように見える道や建物。

どこかの国の都市で、いつか同じような感覚をフウケイに感じた事を思い出す。
そんなとき、その国の未来を空間にみているのかな・・・。



2018/04/17

ハバナ (70)



どの町にでも見られるようなひっそりとした裏通りは
時空や国境を超え
わたしを想像の世界へと誘ってくれるようなところがある。




2018/04/16

ハバナ (69)


切り取った都市の一枚のフウケイは
時間といくつかの工程を経て、目の前に差し出された。

自己の感覚と無意識との交信を思う-





2018/04/12

ハバナ (68)


場所と時間と記憶、それらが単独で自由にうごきだす手助けをすること—。
ハバナらしさというものをもう一度つくり直している工事中に今、わたしはある。

ここはハバナであることに間違いないのだが
それがだんだん薄れてくる。


2018/04/11

ハバナ (67)


ハバナのひとびとはどんなことを考えて生き、暮らしているのだろうか。。。

そして東京のひとびとはどうなのかと、考える。


2018/04/10

ハバナ (66)


路地でずっと話をしているご近所さんは
みななぜだかとても仲が良さそうだ。。。


2018/04/09

ハバナ (65)


わたしがハバナに暮らしたら、仲間に入れてくれそうな。
いつも熱心にはなしている、ひとびと-



2018/04/06

ハバナ (64)


少女たちの髪とくびすじのあいだを通りぬけるとき
一瞬止まる、そしてまたうごきだす・・・風もわたしの眼も。



2018/04/05

ハバナ (63)


ひとびとの生活のやわらかい部分にまで入っていけたことは
偶然とはいえ、かれらの、そして都市のふところの深さを感じずにはいられない。



2018/04/04

ハバナ (62)


街と人の両方があってこそ都市は成立するものだと
ハバナではつくづく実感できる。

ひとと都市のつながるパイプが太く
その関係が十分に感じられるから。



2018/04/03

ハバナ (61)


ひとびとが現れては去る、
その何でもない繰り返しの連続した運動が
これほどまでに豊かで輝かしく実りあるものだとは・・・・・



2018/04/02

ハバナ (60)


「キューバはアフリカに近い印象かな、でも建物はスペイン風」と、わたしより半年前に訪れた友人の言葉を思い出す。

そしてキューバは世界で唯一、人種差別のない国だと言われている。
アフリカのような灼熱の太陽の下で、さまざまなルーツのひとびとが、ここでは共に暮らしている。





2018/04/01

ハバナ (59)


海と陽ざしと風に雨。

旧市街の街も人も十分に自然にさらされ、
その痕跡を記憶に刻みこんでいるようだ。



2018/03/31

ハバナ (58)


都市のストリートは心おどるものであってほしいと、つねにどこかで願っているところが、わたしにはある。 

ここではそう思えることが愉しい。


2018/03/30

ハバナ (57)


様々な条件が東京とは大きく違うこの都市で
ほんとうにたくさんの思いが駆け巡った。

都市が人に働きかける、こちらに考えることを仕向けているのだなぁ、と深く感じる。



2018/03/29

ハバナ (56)


都市を、街を、建物を、ストリートを、そしてひとを通じて
わたしはハバナの何かを掴もうとしているのだろう。

それはじつに言葉になり難いことだ。
しかし何か単語を、まるで葉をひろい掌に重ねていくように集めていけたら・・・と願っている。



2018/03/28

ハバナ (55)


都市が人に与えるはかり知れない影響。

そして人もまた都市に働きかけるものだ。
この相関関係にわたしはずっと興味を持ちながら写真を撮っているのだと思う。


2018/03/27

ハバナ (54)


偶然と運命。
彼女を撮れたことは偶然だけれど、その準備をしていたから撮れたものだ。
そしてシャッターを押す決断をわたしはどこでするのだろう・・・?ということを最近考えている。


2018/03/26

ハバナ (53)


この都市の突出したアンバランスさ・・・

それは行き届かない都市構造やインフラから発せられる空虚感と、
反面、ひとの潜在するはかり知れないエネルギーが無造作に折り重なり、
不思議な諧調を生み出しているように感じられる。



2018/03/25

ハバナ (52)


そこに何があるのか。
そしてどこに向かっているのだろうか。
ハバナについて考えるとき、わたしには過去ではなく未来しか見えてこない。


2018/03/24

ハバナ (51)



この旅で、親子の顔や姿が似るということに私の目は反応していた。
メキシコシティでもハバナでも、親子がよく連れ立って歩いていた。

わたしが外国人だから特別にそのことに気付くのか、感覚が研ぎ澄まされている旅の途中だからか、それはわからない。
しかしそれについて感動的に発見し、感じ入ったものだった。





2018/03/23

ハバナ (50)


見ず知らずのひとにレンズを向けることは
一方的で品位に欠ける行為だ。

それは時にきびしくとらえられることもあるのだが、
ハバナではその受け止め方が穏やかで、とてもありがたかった。


2018/03/22

ハバナ (49)


映画のワンシーンのようなハバナ市民の生活の中へ
するりと入って行けること、
それはこの街の大きな魅力だった。



2018/03/21

ハバナ (48)


人と人がどんな話をして
どのように暮らしているのかな・・・と
ちょっとのぞいてみたくなった。



2018/03/20

ハバナ (47)


みなが家族の様な距離の近さ-
それはどんな感じなのだろうか。


2018/03/19

ハバナ (46)


ひとびとが路地でたむろしているすがた、それは
ゆるやかなひかりの束のようだとおもった。




2018/03/18

ハバナ (45)


ひとが集まることで起こるさまざまな出来事。
一つには、それを見たいのだと思う、わたしは。



2018/03/16

ハバナ (44)


それはひとびとの目を見ていた日々でもあった。
無垢でおだやか、そして少し沈んでいると感じたこともある。



2018/03/15

ハバナ (43)


ハバナの別の側面が見たくて、西へ数キロ歩いてみた。
Almendaresという川がハバナをちょうど真ん中で
東西を分けるように流れている。

そのときは引き返したのだが、いまふと、向こう側へ行ってみたくなった。


2018/03/14

ハバナ (42)


-街にはひと-
でも急いでいる人はあまりいない。


2018/03/13

ハバナ (41)



からっとした空気と白熱が、街を蔽っている。



2018/03/11

ハバナ (40)


とくにメキシコシティからここにやってきたわたしには
そのことは衝撃的だった。






2018/03/10

ハバナ (39)


都市のなかでの人との距離感、そして人に対して身構えるということ・・・。
そんなことが、ハバナでもあることはあるのだが
他都市と比べ、きわめて少ないと感じる。


2018/03/09

ハバナ (38)



下町のひとびとの佇まいは、国境を越えてしまうような類似性があるのかな・・・。


2018/03/07

ハバナ (37)


ハバナでは、都市の中でひとびとが農民のような暮らしをしているのかもしれない—

多くの他の国とは、別の方角を見ているのだと思った。