2018/02/23

ハバナ (25)


キューバには〝からっとした明るさ″という言葉がぴったりくる。
気候は暑く乾燥していて、ひとびとはオープンで裏表がない。

レンズを向けると、ムッとするか、笑うかのどちらかだ。

この反応は、わたしにとってはとてもありがたいことだった。






2018/02/22

ハバナ (24)


「飛び立った跡、溶け込む飛行機雲のイメージ、それは見る者を、コメント、文章を読むものをふわっと今でも浮かせます。」

以前あるひとからもらったことばだ。

20歳のころのわたし、その中にはジャンボジェットくらいのスピードの時間が流れていたのかもしれない。

いまはゆっくりと走っている、そんな感じだ。
飛行機や新幹線の中からでは、外の季節を感じ入ることは
なかなかむつかしい。
もっと時間を掛けてもいいよ、ともうひとりの自分の声が聞こえる。




2018/02/21

ハバナ (23)


隆起して路肩にななめに食い込んだような道路や
風雨にあらわれ続けてきた外壁。

それらは、これまでに体験したこと、過去に映像や写真でみたフウケイにどこかでつながっている。

その回路を思うことーそして記憶のふたをそっとあけてみる。



2018/02/20

ハバナ (22)


このまちの時間は、にぶくゆっくりと流れている。

まるでスローモーションの連続をみているようだ。

それは記憶に痕跡をのこすための儀式の様にもおもわれる。



2018/02/19

ハバナ (21)


キューバは貧しい国と言われるけれど
本当にそうなのだろうか。

まずしさとはなんだろう。
富とはなんだろう。



2018/02/18

ハバナ (20)


芸術において
天使の入る隙間、天使の訪れる場所を空けておくということはなんだろう―
ということを最近考えている。





2018/02/17

ハバナ (19)


すこし東京の下町の路地を思わせるようなところもある。

ここでは肌の色やルーツが違っても、みなで一緒にくらしている。








2018/02/16

ハバナ (18)


この都市はなんだろう・・・?と
ハバナは考えさせてくれない。
その前に人がくる。

ひとのエネルギーや熱量が
街という器からこぼれ出し
そこかしこにただよっている。



2018/02/15

ハバナ (17)


ハバナの若い女性が街を歩く身ごなしは、
あふれ出る強さと、かがやきをまとっている。



2018/02/14

ハバナ (16)


キューバのことをおもうと今でも不思議な気持ちになる。
本当におなじ地球上にいま存在している都市なのだろうか・・・と。
白日夢か映画の中の世界だ、ここは。

キューバの人が東京に来たら、同じことを思うかもしれない。


2018/02/13

ハバナ (15)


ハバナ旧市街のはずれは、およそ観光の雰囲気からは遠く
ひとびとの生活のにおいがする。

都市のなかへ入ってきた、という空気がつよく漂う。


2018/02/12

ハバナ (14)

カラーとモノクロ写真の違いをしばらくの間、考えていた。

ふとリンゴの木があたまにうかぶ。
19歳まですごした実家の敷地の隣と、向かいの2方向はりんご畑だった。
冬季、りんごの実はもちろん、葉のすべてがおちる。
樹はそのごつごつした太い幹や、仁王像の掌のような脈々とした枝は、そのむきだしの姿をさらす。

そぎ落とされ、質感と最低限の要素だけが際立つ。

雪の中にぽつぽつと在るグレイのその立ちすがたは
まさにモノクロの世界だった。

一方、春、葉の青々とした姿にはやがて花が咲き
蝶や虫や鳥もやってくる。
たくさんの生き物が木のまわりで歌っているようだ。
いのちが動いている、時間が流れている。
それがカラーだと思った。



2018/02/11

ハバナ (13)


ハバナではひとがうごめいている。
それは掟破りで、ちぐはぐ、ヒリヒリするようななまなましい感触とでも言えば良いだろうか・・・。




2018/02/10

ハバナ (12)


―ある写真家に捧ぐ―

絵の中と外を行ったり来たり
時間も場所もとびこえる

翼をつけて羽ばたいたり
ときに海底奥底に潜ることも厭わない

その中にいるときも
その前に立つときも
いつもあなたは
本気で追いもとめている

そしてわたしもそうなりたい、と願うようになりました。

2018/02/09

ハバナ (11)


いまではファッションの一部だが、スカートの短さは彼女たちの革命の意思の象徴だった。

かつて女性が権利を奪われそうになったときに
女性たちがスカートを短くして立ち上がった、という出来事があったそうだ。 (カーサ デ アジアで働くフレグラさん談より)


2018/02/08

ハバナ (10)


ここに住むひとびとのあいだに、境界線はない。

2018/02/07

ハバナ (9)


頭では整理できないことでも、こころでは感じられている、
それが写真だ。

ことばはあってもなくてもよいのだが
次に進めるのは、ことばがあるからだと思う。




2018/02/06

ハバナ (8)


ハバナは、わたしに力を抜くことをさせてくれる場所だったようにおもう。
あっけらかんとした空気、途切れることのないおだやかな日常。
だからひとりで力を入れても仕方がないと思えてくる。

そして時に、向こうから明るさやあたたかさをポンと投げてくる。


2018/02/05

ハバナ (7)


都市空間に何か漂うものを見出したとき
それが都市の本質へ向かうときの助けになってくれる、
道みちしるべになってくれるであろう、と思う。


2018/02/04

ハバナ (6)


すべての動物の回遊(旅)は、今いる環境に不都合を感じていることが発端になっていて
動物の旅の衝動は、いやな場所が耐えられず脱出することが原初の形だそうだ。(魚類学者・塚本勝巳氏の談より)

人間の場合もそうなのか、自身に問うてみる。

確かに動物的本能がそうさせている部分は多々あると思う。
しかし、好奇心や社会的興味といった人間に備わった別次元の希求がそれらと複雑に絡み合い、旅への原動力になっているように思う。

そして東京-戻ってくる場所-その存在が、わたしのなかで
否定することも、すんなり受容することもできない位置に、
いつもいるのだ。



2018/02/03

ハバナ (5)


ハバナでの滞在から5ヶ月が経ち、やっとこの都市におこっていることを整理し、何とか呑みこむことができるようになってきた。

それはキューバ社会の仕組みや歴史、気候、産業、人種、文化など今のわたしの環境とはまるで異なる多くの事が一度に押し寄せてきたからだと思う。
スムーズに直ぐにそれを受け入れることができずに、わたしはいくつもの出来事や要素をバラバラに抱えたままの状態で持ち帰り、妙な中途半端で消化不良の心持ちでいたのだった。

ハバナでの撮影のフィルム現像が終わり、プリントをする段階に来た今、ようやく感得しあらたに作り上げる準備が整ってきたのだと思う。

そしてそこからは、実に多くの気付きを与えられている。


2018/02/02

ハバナ (4)


ハバナは亜熱帯性海洋気候で、
自然の植物の圧倒的な伸びやかさ、
そこにひとびとの姿が呼応するように交ざりあっている。


2018/02/01

ハバナ (3)


ハバナの旧市街では、異なる時代の建物がいくつも混在していて修復作業が全然追い付いていないと、カーサ・デ・アジアの館長でディレクターのテレシータ・エルナンデスさんが、石畳の旧市街をゆっくり歩きながら説明して下さった。

そんなことを遠い昔のことのようにわたしは思い出している。

そして瀟洒なコロニアル建築の建物の前を過ぎたとき、ここは妊婦やシングルマザーが相談に来る施設で、費用はすべて無料だとも教えてくれた。
(キューバは医療費も教育費も無料)




2018/01/31

ハバナ (2)


ハバナでおどろいたのは、街中でいつも誰かしらヒッチハイクをしていることだ。
車の運転手は行先が合えば人を乗せるし、乗る人もそれが当然だと思っている。

ヒッチハイクで通勤している人も多いと聞いた。








2018/01/30

ハバナ (1)


ハバナはスペイン語でLa Habana(ラ・アバーナ)と呼ばれ
キューバ共和国の首都、カリブ海最大の島である。

わたしが訪れた8月17日からの10日間は一年でもっとも暑い季節、髪も眼も肌もじりじりと焼かれ、太陽の近さを実感として感じた。
この島はカリブの真珠と呼ばれている。
そしてひとびとは、強くしなやかなその肢体は輝きを放ち、わたしの目を休ませなかった。
5ヶ月置いた今、わたしが切り取ったハバナを振り返っていきたい。


2018/01/28

メキシコシティでの撮影を振り返って


この旅で、はじめてわたしはラテンアメリカの地に足を踏み入れた。
帰国して、思いがけずメキシコ在住のアーティスト
*矢作隆一氏の個展が11月に東京であり、観に行く機会を得る。
そして8月にメキシコでお世話になったセレステ・ウレアガさんの来日と再会、彼女の展示に関わることで、多くのことがラテンアメリカと日本の間で繋がっていくような感覚をおぼえた。

メキシコシティでの撮影を振り返ってみると、撮りにくさ、撮影の難しさを改めて感じる。
それ故写真に表出されてくる事柄もあるとは思うのだが、
都市の闇の部分をこれほど感じさせる街を、わたしは他に知らない。

反面、メキシコ人の陽気さと穏やかさが際立ち、彼らの優しさや明るさが私の旅を支えてくれたことは間違いない。




*矢作隆一氏
メキシコ・ハラパ在住の彫刻家。
矢作氏の個展「再-futatabi」は創形美術学校(豊島区西池袋)のガレリア・プントで行われる。(2017年11月4日-18日)
今回の展示は、国が定めた新規制基準に基づく審査を経て初めて2015年8月11日に再稼働を始めた、九州電力川内原子力発電所の付近で採集をした石と、その模刻作品をそれぞれ展示したもの。
沈黙する石、そこに込めた矢作氏のメッセージはたしかな響きとなって伝わってくる。

来日時矢作氏は、広島平和記念公園を訪れ、メキシコの大学生たちが作った千羽鶴を捧げた。
                                             (以下、中国新聞より)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=77874




2018/01/25

メキシコシティ (41)


メキシコ人の、すこし優柔不断な面、何か強く言われたらしたがってしまう場面を実際に何度か体験し、また、目撃したこともある。

それは、国民性といえるようなものなのかもしれない。

その部分、わたしにはとても好感が持てた。



2018/01/24

メキシコシティ (40)


メキシコシティの地勢、
そしてここで暮らすひとびとのようすをファインダー越しに見続けて
今わたしは、かれらをもっと知りたいと思うようになった。


2018/01/23

メキシコシティ (39)


はたしてこの都市は—
                                 どんな場所なのだろう・・・
                                                               日々謎は深まっていく。


2018/01/22

メキシコシティ (38)


下町に迷宮への入り口が・・・。




2018/01/21

メキシコシティ (37)


ことばとおとはなく
あるのは光とにおい、そして空気や風の感触だった。



2018/01/20

メキシコシティ (36)


下町は、都市の中における溝のような部分だとふと思った。
だから影もあれば死角もできる。

-そして溝だからこそ、水が流れる。


2018/01/19

メキシコシティ (35)


滞在して肌で感じたメキシコシティ というのがある。

一方で、少しずつゆっくりと立ち上がってくる写真によって
今は、あらたなメキシコシティが出来てきている感覚だ。


2018/01/18

メキシコシティ (34)


ある街があり、ただそこに人が歩いている、それだけのこと—
それを写真に切り取ることで
何か大事にするべき、価値あるものに形をかえる。

写真の真の面白味は、そのあたりに隠されているのだろう。


2018/01/17

メキシコシティ (33)


一見不自由とも思われるRZの大きさや重さ、かまえる位置を逆手にとり、
相手に気が付かれないように、違う方向を見てシャッターを切る。

ノーファインダーの撮影をここまで駆使したことは初めてだった。

それくらいメキシコシティは、写真を撮ることを遠慮させるような空気が漂っている。



2018/01/16

メキシコシティ (32)


がちゃがちゃした下町の様は
人間味と懐かしさに溢れている。




2018/01/15

メキシコシティ (31)


予期しないような絵が撮れたとき
次に向かっている、わたしが時間という流れの中にいる、
という気がする。


2018/01/14

メキシコシティ (30)


父の若いころの目になったような不思議な気持ちで
出来上がったプリントを見る。
国も時代も飛び越える一枚・・・。




2018/01/13

メキシコシティ (29)


ーメキシコシティらしさー

なぜかこの写真にそれをわたしはつよく感じる。


2018/01/12

メキシコシティ (28)



フィルム現像、ベタ焼き、セレクト、テストプリントという複数の工程を経ることにより
あの日、あの場所でわたしが感じていたことや、感触が
ほかの多くのものを引き連れて、徐々にゆっくりと浮き上がってくるようだ。

ひとつの写真作品をつくりあげることは、
醸造する作業に近いのでは、と最近思い始めている。




2018/01/11

メキシコシティ (27)


2週間での滞在で、メキシコシティがわたしに近付いてきた。

実際に(何年か)暮らしてみたら、この街の景色はどんなふうに見え方が変わっていくのかなと、何度も自然に想像することができたから・・・。


2018/01/10

メキシコシティ (26)


温暖な気候、湖を埋め立てて造られた都市、
まじりあった血、楽観的なひとびと。

この都市を貫くものは何だろう。



2018/01/09

メキシコシティ (25)


撮った写真の中から時間を遡ってメキシコシティへ。
もういちど、夢の中で再会するように
わたしは何度でも旅にでる。


2018/01/07

メキシコシティ (24)


メキシコシティの町に、人に、わたしは何を見ていたのだろうか。
写真によってすこしずつ明らかになることがある。

その内容に触れ、はっとすることもあるのだが
それはずっと前から、すでにわたしの中に在ったもののように思える。




2018/01/06

メキシコシティ (23)


フィルムで写真を撮ることは、未来の自分に託す手紙のようだと思った。

像が潜める時間は、長い時で一年もそのままのときがある。

出来てきたネガを見て、過去をすこし距離をもって眺めたり、写真を感じる目に変化をおぼえたりする。
まったく変わらない感覚を、しっかりかみしめる時もある。

その時間が厚みとなって、それに助けられるようにわたしはまた手紙の続きを書き始める。




2018/01/05

メキシコシティ (22)


わたしはこれまでいくつかの都市で、ストリートを撮ってきた。

パリでは人の佇まい、中国ではもののつくりだす影、
そしてこの都市では、人々の目を見ていたように思う。

こちらが彼らに頻繁に見られるから、ということもあると思うのだが、なめらかな褐色の肌に
(目の)白の部分がたおやかにうかび上がる。
じっと見入ってしまうような、
ひきつけて離さないような力があった。

目の奥がやさしい、と感じるような人もたくさんいた。




メキシコシティ (21)


突然わたしの目が勝手に動き出す。
かれらは何をしているんだろう・・・と。
こちらの想像力を膨らませてくれるような街角や、人々が見たい。
うまくゆけば写真におさめたいという一連のこころの動きは
いつでもある。
ゆっくりと進むか、ギアチェンジをして加速するかは、その都市をふらふら歩いた時の感触できめていく。

メキシコシティでは、ストップをかける別の力をかんじていた。



2018/01/01

メキシコシティ (20)


メキシコシティ、
日本からは地球の反対側の国、
その国や人のことを大切に思うように
まだ訪れたことのない国や人にも、おなじように思えますよう。

世界平和を。




2017/12/31

メキシコシティ (19)


日本のことを考えるために海外に住んでいるという小説家を知っている。
それほど、自国を離れ外国に身をおくことで見えてくる
〝日本のこと″がある。

海外にいくことは、その行先の国のことを知るというよりもむしろ、
日本について考えるよいきっかけになっていることを
わたしも毎回実感する。



2017/12/30

メキシコシティ (18)


ひとは多面を持ちあわせる、そして都市も
それを撮る人間も、そうだ。

写真とは、そういった見えないものの点を結び付けていける
ものなのだと思う。